ザグレート・ムタと天龍源一郎

プロレスが好きなんですが、今はプロレス自身以上に<<有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】>>を見るのが好きですw
それこそ、AmazonPrimeVideoでやっていた有田と週刊プロレスが面白すぎてそのままYoutubeのオマエ有田だろ!!も観ている感じです。

先般、グレート・ムタについて動画が配信されたので見ました。

グレート・ムタいや、武藤敬司を含めてのベストバウトが、ムタVS猪木戦だろうというお話でした。
これ自身は否定しません。
猪木サイドから見ればアントニオ猪木を出せなかった試合の一つでしょうが、ムタサイドから見たら最高傑作の作品と言えるでしょう。あのアントニオ猪木をムタワールドに引きずり込んで引きずり込んだまま終わるんですから。最高の一戦と言えます。

しかし!!!私は異を唱えたい!
この直前のVS天龍組戦こそがムタワールドではないか!

そのムタVS猪木戦は1994年5月1日おそらくHAKATADONTAKU福岡ドームではないかと思います。
結構前にこのカードは決まっていて発表されていたんじゃないでしょうか。
それを受けて約1か月ほど前の1994年4月4日広島大会。
基本的にグレート・ムタは大きな大会限定での出場となっていて、広島大会クラスだと出てきません。武藤敬司で出場することになります。
この日の広島大会では、長州力&天龍源一郎 vs 武藤敬司&蝶野正洋という一戦が組まれています。

よく考えてみてください。
長州&天龍組って、、、実はとんでもないタッグですよね。そして、開いては武藤&蝶野組。
こちらも三銃士の2人が組んで出るんですからこちらもとんでもないです。
ムタがいなくてもカードは成立するのがこの時代の新日本プロレスです。
いやぁ。これはわくわくするカードです。

ところが…
いきなり武藤が消えた??

開始早々、天龍選手が武藤選手を場外に転がしました。
そして、マイクをもって、
『ムタで来い!ムタで!』
と。
花道を後ずさりしながら、最後はゲートをくぐって消えてしまった武藤敬司・・・
蝶野が1VS2の構図で、それこそ天龍・長州という一線級のレスラー2人を相手する始末。。
当時の実況(たぶん辻よしなりアナウンサー)と解説の方が【おそらく福岡ドームで猪木と対戦するのがムタだということで天龍選手は腹を立てているんでしょう。俺らなんかはムタではなく武藤で十分だってことか?と。】といったようなことを言っていた記憶があります。そして、数分したら

マジけ?ムタだぜ??
着替えてペイントして再登場!ザグレート・ムタ

武藤敬司選手、いや、グレート・ムタとは本当に空気が読めるレスラーと言うか。。。
引っ込んでなにをしていたのかと思えば、顔にペイントしてタイツを履き替えて、ザグレート・ムタになって戻ってきました。
天龍選手もおそらくそんなムタの性格をよく知っていたのでしょう。ムタで来いムタの一言でムタに変身させて戦わせるんですから。よくやったもんです。
試合自身はたしか、1VS2が長すぎて蝶野選手がホールとられたかギブアップしたんじゃなかったかと思いますが、ムタVS猪木戦もそうですが試合結果なんてどうでもいいんです。
武藤からムタへ変身して帰ってきたあの時の空気感は、TV越しに夜中に録画放送を見ている私でさえ鳥肌が立ったのを覚えています。

実は・・・武藤敬司より先
IWGPチャンピオン

そんなグレート・ムタ。実は武藤敬司としてより先にIWGPヘビー級チャンピオンになっています。
もっというと、闘魂三銃士(武藤・橋本・蝶野)の中で一番最初に戴冠したのが実はザグレート・ムタなんですね~

武藤敬司
七色レスラー・・・こんなレスラー見たことない!

武藤敬司選手は若いころから期待されていました。
長州・藤波・前田をニューリーダーとして猪木・坂口・マサ斎藤をナウリーダーとして世代闘争、いわゆるおれたちの時代は、まだバリバリ若手黒タイツに丸坊主だった武藤敬司がなぜかナウリーダーにいれられるような状態でした。(年齢が長州とほぼ変わらない藤原組長も顔が更けているというだけでナウリーダーでしたがw)
海外遠征から帰ってきて少しすると、610の背番号(ムトウ)を背中にまとってアメフトのような格好で、胸にはオオカミのワッペンをつけて登場、当時の入場テーマはファイナルカウントダウンだったと思いますが、スペースローンウルフというキャッチコピーの若手選手になりました。
武藤選手はこれが嫌で仕方なかったらしいですがw
そしてその後はHOLDOUTの入場テーマになって誰もが知っている赤ともオレンジともいえない朱色のパンツで登場。
みんなのしる武藤敬司になりました。
日本ではちょうどそのころから大会場限定でザグレート・ムタが登場し始めます。
スペースローンウルフ時代はラウンディングボディプレスをフィニッシュホールドとしていました。
朱色パンツの武藤敬司もラウンディングボディプレスがフィニッシュホールドでしたが、このころにはもうほとんどの人がムーンサルトプレスというようになっていました。
当時もう一人ムーンサルトの使い手が他団体にいて、これがまたその人もオレンジ色のパンツなんですねwそう。小橋建太選手です。
小橋建太選手は当時はまだ体の線も細く、見事な綺麗なムーンサルトを見せていました。
武藤敬司選手のムーンサルトはなにせ早い。
背骨居りして寝かせたら一気にトップロープに上って一気に回転ドン!
どっちのムーンサルトも好きでしたが、武藤選手のムーンサルトにはある種の狂気じみた何かがあるように見えました。
もちろん、ムタもまじめに試合をやったときのフィニッシュホールドはムーンサルトですが、それ以外に、武藤選手でやったのは見たことがない鎌固めをよく使っていた気がします。

そして、2000年代になり、武藤選手も年を重ねて行っていました。
当時はnWoにいたんですかね?
突如丸坊主になって登場しました。
今の武藤選手ですね。
キャラ変や入場テーマを頻繁に変えるレスラーって大成しないイメージがあるのですが、武藤選手だけは別格ですよね。
蝶野選手もキャラ変とテーマ変をしていますがベビーフェイスからどちらかというとダークネスいわゆる闇落ちキャラで闇落ちしてからのほうが大成しているんですが、武藤選手はいつの時代も頂点を極めています。
坊主武藤は、新日選手時代にとんでもないフィニッシュムーブを完成させました。
そうです。シャイニングウィザードです。
あの技の一発目は、意図的に行ったというより、片膝をついている相手を切り上げようとして、足が上がらず膝がコメカミあたりにあたった感じでした。
しかし、それはそれは強烈な一発でたしか一発KOだったはずです。
これは、ムーンサルトほど膝に負担がなく、膝に爆弾を抱えている武藤選手を生き返らせる技になりました。

そして、全日移籍後はシャイニングウィザードを中心に大事なところではムーンサルトという感じで、選手寿命を延ばしながら様々な記録を打ち立てていきました。
頭髪を剃ってしまってつるつる坊主になってしまったため、ザグレート・ムタがやりにくくなりました。
しかし、ムタ復活をかねてから唱えていた武藤選手はいよいよ復活させます。
なんというのかマスクなんですが、ゴムのなんていうんでしょうね。血管みたいなところだけの、それこそおどろおどろしいムタマスクが完成しました。
私は新日時代のムタと、その後のムタは別物と思っていますが、このムタも面白かった。
たしか、シャイニングウィザードはムタが使うと閃光魔術っていう名前になるんじゃなかったかな。

それにまだ、黒師無双なんていうキャラで白紙に対戦するときにもう一つキャラを作ってたり。

もう一度言いますがこういう変化を頻繁に行うレスラーってなかなか大成していないからキャラ変するんだと思うのですが、武藤選手だけは別物でしたね。

さて、そんなグレート・ムタ。私が思うベストバウトは、ムタで来いムタでの、天龍・長州戦です。