平日も開催!ナイターもあります!


地方競馬

南関東のみならず名古屋・笠松・金沢・・・
門別・園田・佐賀・高知・姫路・・・
水沢・盛岡・・・そして帯広ばんえいまで
ほとんど毎日開催されています!

JRAの馬券はよく買うけども…

地方競馬3つのメリット

  • 平日も開催!ほとんど毎日どこかで開催されています!
  • ナイター競馬もあります!お仕事が終わってから競馬を楽しめます!
  • 一口馬主出資馬の応援馬券を!

少し昔・・・
馬券は、基本的に競馬場か場外馬券売り場に行かないと買えませんでした。
平成になってからは、電話投票権(電投)というものが出てきて、電話やファミコン、専用機械を電話線につないで馬券を買うことができるようになりました。
電話で馬券を買おうと思うと、コードを覚える必要があり、競馬場コード馬券種コード、レース番号、指定馬番号、投票数(金額)などを数字で入力する必要があり1つ馬券を買うのも大変でした。
ファミコンや専用機器の場合は、ある程度画面で表示してくれるので楽は楽なのですが、結局自宅でしか買えなくて(一部公衆電話に線をつないで買えないことはなかった)電投の意味が半減していました。

しかも!
投票権は抽選!低確率!!

しかも、そのころは電話投票権は、申し込みして抽選でした。1年に何千人か何万人かしか当選しない仕組みで、当時は当選確率は大体30%ほどといわれていました。
私も、3年待ちました。
覚えています。マヤノトップガンの菊花賞と有馬記念で競馬のすばらしさに気づき、北陸の田舎ではJRAの馬券は最寄りだと新潟競馬場か京都競馬場に行かないと買えないことに気づき電話投票権を申し込みました。
当たって、馬券が買えたのが、エアグルーヴとジェニュインの一騎打ちになった札幌記念でした。
始めて電投で買った馬券はジェニュインの単勝でした。
そして、この電話投票権はIPATといわれるものに変わりました。
IPATは、インターネットを使って馬券が購入できるシステムで、今の即PATとほどんと同じです。
違うのは金曜日のうちに銀行口座に入金しておかないといけなくて、金曜日の夜から月曜日の朝まで口座からお金の引き出しなどができなかったのです。
また、追加入金もできませんでした。
これが、今は即PATといわれるものに変わって、楽天銀行などのネット銀行を経由してリアルタイムに入出金が可能になり、追加入金もできるようになりました。
逆に、こちらで即PAT内に、口座からPATへ入金しないと口座にいくら残高があっても馬券は買えなくなりました。
しかし、即PATは、いつでもだれでもすぐにでも開設できるのですぐにでも馬券を購入することができるようになりました。

身近な地方競馬に行かなくなったけど・・・

たまに買いたくなる地方競馬の馬券

私は北陸在住なので、先ほど書いたようにJRAの競馬は身近ではありませんでした。
それでも、GWは、前日の夜に出発して夜中の2時・3時ころに京都競馬場の入場問に並んで春の天皇賞は10年ほど見に行きました。
スペシャルウィークやテイエムオペラオー、スズカマンボあたりは生で見ました。
始めて見に行ったG1はダンスインザダークの菊花賞でした。
確か当時、競馬場入場人員レコードで、携帯電話のアンテナに変な混線マークが出たのを今でも覚えています。
しかし、当時はまだ電投も当選しておらず、年に1~2回の楽しみであったJRA競馬。
身近なのはいつでもいける金沢競馬でした。
百万石賞・北國王冠など、金沢の重賞がいくつもあって、やはり地元には最強と言われる馬がいて、それをどの馬が打ち負かすのか?それとも強い馬はやはり強いのか。
楽しくて仕方がありませんでした。
私がよくいっていたころは、それこそちょうど地方交流重賞というのが始まり、金沢では、今でもありますが白山大賞典(Jpn3。当時はG3)や、サラブレッドチャレンジカップ(3歳限定G3。すでに無くなっていますが、、、)などがありました。
白山大賞典はもともとは金沢の重賞で金沢競馬最高峰の重賞でした。
そちらが交流重賞となったのですが、交流重賞になって以来地元馬の勝利はまだないのではないかと思います。
当時はハヤテサカエオーやエビスライトオー、カズノリュウセイにミスタールドルフと強い馬がいましたが、実際にJRAの競走馬や他場の競走馬と戦うと歯が立たないというのが、、、
電話投票権が当選して以来、あまり金沢競馬にもいかなくなりました。
ちょうどそのころというのは地方競馬が非常に厳しい時代で、どの競馬場も赤字続きで、廃止された競馬場もたくさんあった時代です。
金沢は廃止までは至りませんでしたが、当時金沢の重賞1着賞金が1000万円が重賞の賞金でしたがそのころからどんどん減額されていき、最低で500万円まで下がっていたと思います。
これは、オグリキャップやメジロマックイーンなど芦毛のサラブレッドが巻き起こした競馬ブームから始まるJRA中央競馬一辺倒状態に当時でいえばナリタブライアンというシンボリルドルフ以来の三冠馬の誕生があり、競馬を見るならやっぱり強い中央競馬というイメージが大先行した結果だと考えられます。
また、そのころは日本はバブル崩壊から始まる大不況真っただ中のデフレ時代です。
パチンコ産業はピークをその少し前に迎え減少に入るタイミングです。
そんなタイミングで名も知れぬ馬たちが走っている地方競馬に見向きもするはずはありませんよね。

最近は地方競馬もよく見ます
なぜなら出資馬が走るから!

そんなことを言いながらも、最近は地方競馬もよく見ますし馬券もちょこちょこ買います。
その最大の理由は【一口馬主の出資馬が走るから】にほかなりません。
そもそも、私が一口馬主を始めたきっかけは地方競馬なのです。

衝撃の圧勝劇・・・あのホクトベガと渡り合った

キョウトシチーと金沢競馬

ドバイで虹となったホクトベガを知っていますか?

ホクトベガはエリザベス女王杯を勝った牝馬で、当時は春牝馬クラシック2冠のベガがメジロラモーヌ以来の牝馬三冠を狙っていたがそれを阻み勝利。
そもそも二冠馬ベガとエリザベス女王杯勝馬のホクトベガはベガとついてはいるが馬主も違えば血統的な近親性もない。たまたま同世代にベガとホクトベガという馬がいただけのことである。
今になればベガもホクトベガも超有名な馬だ。
そんなホクトベガ。
エリザベス女王杯を勝った後もまだG3だった札幌記念を勝ったり、重賞で掲示板に乗るくらいの活躍はしているがいまいちパットしない。
父ナグルスキーはダート志向が強い種牡馬ということで、6歳になってから、ダート競馬へ出走する。
初戦は牝馬限定の地方川崎競馬の重賞エンプレス杯。
このころはまだ交流重賞が始まっておらず、格付けがない。
このエンプレス杯で2着に大差、3.6秒差の圧勝をやってのける。
その後は、出るレースもないからか芝に戻るがやはり掲示板程度。
明けて7歳になってからは本格的にダート戦に打って出る。
当時のJRAは、ダート戦線はほとんど整備されておらず、G1もない時代。
地方のG1級のレースに積極的に出ていくことになる。
川崎記念を5馬身差の圧勝その後当時はまだG3のJRA重賞フェブラリーSを難なく勝利。ダイオライト記念、群馬記念と勝利後、おそらく当時も地方競馬最高峰のレースの一つである帝王賞に出走。2馬身差とはいえキッチリ勝ち切ってダート馬最強と言える連勝を重ねる。
話は本題に入っていく。
このホクトベガのライバルだったのがキョウトシチーだ。
キョウトシチーは、ホクトベガが出ていない大きなレースに出走していた。
避けていたわけでもないだろうが。キョウトシチーの最大の殊勲の一つが東京大賞典だ。
当時はグレードがない地方の重賞ではあるが獲得賞金が8000万円ということで地方競馬の中では飛びぬけて高額賞金のレースであり賞金からすると地方競馬最高峰のレースだろう。
格を考えても帝王賞と東京大賞典が地方競馬最高峰のレースであろう。
その東京大賞典で当時地方競馬最強のコンサートボーイを完封し勝利している。
レースの格から言えばその時点ではダート最強はキョウトシチーだった。
次戦は川崎記念でホクトベガに完封負けしてしまうが、、
そんなキョウトシチー。
その後もやはり路線としてはホクトベガのいかない路線を選択していく。
G1級の重賞はどうしてもぶつかることになるのだが、それ以外のレースはうまく避けていた感じがする。
そんな中で選ばれたレースの一つが白山大賞典だった。
キョウトシチーは3回参戦。2回勝利して帰っていっているが、このキョウトシチーという馬は友駿ホースクラブという一口馬主クラブの馬だったのだ。
今は当たり前になってきているが、当時はまだ少ない400口という小口募集(今は1000口くらいで小口といいますが当時は400口は小口クラブだった)のクラブだった。
400~500口募集というのは当時だと、友駿(400口)とシルクホースクラブ(500口)くらいだったのではないだろうか。
そんなキョウトシチー、クラブの馬なので当然出資者が金沢に来場する。
30人程度いただろうか。
がんばれシチー軍団という横断幕とキョウトシチー、松永幹夫騎手の横断幕をパドックに掲げていた。
金沢で持ち込みの横断幕なんて初めて見た。
そしてレースが始まるとゴール前でみんなでかたずをのんで見守っている。
中にはスーツ姿の方が何人かいて、今思えば口取りだろうか。
当時はそんなところまで見ている余裕はなかったが今思えばそうだったのかもしれない。
キョウトシチーの完勝でレースを終えたわけだが。レース後クラブの仲間たちがおめでとうと言いながら握手していた。
その姿を見て、自分もいつかああいう馬の出資者になって仲間と握手をしたいと思った。(そしてすぐに友駿の会員になったのが一口デビューだった。そしてのちのタップダンスシチーといわれる馬に出資直前まで行ってお金がなくて退会したのが私です。)

重賞ではないけど…
交流戦や中央移籍チャレンジで・・・

私の出資までは、重賞・・・に出走した馬は一頭、1回だけでまだまだ重賞、交流重賞というところまでは手が出ません。
地方の重賞については、ついこの前門別の最高峰レースである道営記念にエメヴィベールが出走しました。
まだまだ、そういうレースには縁がありませんが地方競馬にはよく移籍しています。
金沢競馬にも何頭か在籍していたことがあり、その中でもオールズフェアは10勝近くしてくれて今は南関東へ移籍して勝ち負けを演じています。
地方競馬というくくりでいえば、まず地方競馬のJRA交流戦というのがあり、未勝利クラスの交流戦には何度か出走しています。
ここで勝つと、JRAの未勝利戦勝利と同じ格と賞金が与えられ1勝Cへと昇格します。
スノークルーズやジークシュベルトは交流戦で勝ち上がり1勝Cとしてその後もJRAで走り続けられました。
次に、3歳夏までに勝ち上がることができなかった馬の一部は地方へ移籍します。
3歳のうちなら2勝、3歳を超える場合は3勝を地方競馬で勝ち星を挙げることができれば1勝Cの馬として中央に復帰できます。
これが中央移籍チャレンジです。
ダオラダオラはチャレンジ成功して中央に戻ってきました。1勝Cで掲示板に乗れるほどの走りをしていますので、どこかで順番が回ってくるかもしれませんね。
逆に適性や収益性を考えてあえて中央から地方へ移籍した馬もいます。
ロンコーネやエメヴィベールがそうでした。
どちらも3勝Cまで出世していましたがそこから先はなかなか厳しくめどが立たないうえに、ダートで適正距離のレースをJRAで模索しようとするとなかなかレースに巡り合えず、おまけに3勝Cの場合出走が叶うとも限らない狭き門のため、地方へ移籍するほうが適正にあったレースを選択できることも多いので地方に移籍しました。
ロンコーネは南関東へ移籍しました。
もともと地方競馬の中でも南関東は賞金がかなり高額で、そのため強い馬もたくさんいます。
そんな南関東でA2クラスで1勝上げました。その後けがにより引退しましたが怪我がなければ南関東A1クラス、重賞でも活躍できたと思っています。
エメヴィベールは、股関節炎を一度やっている関係もあって、坂路がある門別競馬場へ移籍しました。
A1クラスに最初から配属され、門別デビューから2戦、連続2着。負けた馬は同一の馬で門別最強クラスの1頭に苦杯をなめさせられていました。
しかし、その2戦の評価もあって、道営記念ファン投票で8位に選ばれ出走できることに。
地方重賞初参戦となりました。
結果は残念な結果でおまけに屈腱炎を発症。そのままファンド解散となりました。
しかし、このように地方競馬に出走する愛馬も結構いて、おまけにいろんな競馬場で走ります。
やはり、ちょっとくらい馬券を買いたいなと思うこともあります。

楽天銀行で即PATを持っているのなら…話は早い

楽天競馬で決まり!

楽天銀行口座を持っていてその口座で即PATを開設しているのなら話は早いですね。
楽天競馬はすぐにも開設できます!
愛馬の応援馬券は楽天競馬で決まりですね。